311後の福島第一原発事故は、
私たちに放射能汚染の脅威を見せつけ、
今後何万年と続くであろうその影響は
暮らしや生存を脅かす最大の不安となっている。
しかし歴史を振り返り、また世界に視野を広げてみると、
先住民族の人びとは長きにわたり
ウラン鉱山、核廃棄物処分場、核実験場などで
核の脅威にさらされてきた。
ウラン鉱山開発のために土地を追われ、
大地や水、あらゆる生き物と調和して生きる暮らしを奪われ、
さらには行き場のない核のごみを押し付けられ、
被ばくをしてきた人びと。
その実態は、近代が生み出した
支配と暴力、略奪の歴史の中で
多くの場合知られることもなく、
まるでなかったことのようにされてきた。
原発すなわち核を生み出してきた世紀は、
まさに「奪う者の論理」「殺す側」の歴史でもある。
原発事故後を生きる私たちは、改めてこの歴史と向き合い、
その根源を問い直す必要に迫られている。
先住民族の人びとの経験を知り、私たちの選ぶべき道を考える。