アナーキズムの隘路をめぐって――
即時的な解放欲求の中で
文=今田剛士
思想史上においてアナーキズムは、20世紀前半に衰亡した古典的な思想および運動とされている。しかしながら近年、その死に絶えたはずのアナーキズムが、全く新たな相貌を備えて復権したかのような印象を持つことが少なくない。
「反グローバル化」運動における非集権的なネットワーク組織や直接行動的な運動への志向。日本国内においても、新自由主義経済の矛盾に抗議する動きの中で見られる、営利企業に代わる自律的な自発的結社への注目、目的合理的成果よりも表現的なものを重視したデモンストレーションなどが、再びアナーキズムへの関心を高めているようである。
無論、これらをある特定の主義として括ることは正当ではない。それでも既存の政治への不満が、幾つかの点でアナーキズム的傾向を有する表現形態をとりつつあるとするなら、かつてのアナーキズムの問題点を参照することも全くの無駄ではないだろう。
もっとも、歴史的に見てもアナーキズムという思想・運動を一つの教義や形態に従って判別することは甚だ困難である。マックス・シュティルナー(註1)のような徹底した個人主義をアナーキズムとする立場がある一方で、ミハイル・バクーニン(註2)の如き人間の共同性を重く見る集産主義的志向も存在する。
むしろ、そのような教義の統一を放棄するところにこそ、アナーキズム的自由があったとも言えよう。だが、権力や自由に対する内容把握の多様性は、しばしばアナーキズムの中で矛盾や対立を顕在化させることにもなった。
例えば、国家や資本に対抗する自律的中間集団は、一般的にアナーキズムにおいて肯定的に捉えられてきたが、そのような集団さえも最終的には個人の自由を抑圧する存在である、とする批判もアナーキズム的立場からは容易に発され得る。事実、集団の自治的構成を支えるためには成員の自発的な労力の提供が求められるが、そうした労力の要求が、ときに理念を笠に着た権威的要請へと成り代わる可能性もあるだろう。多様な個人を認めるはずのアナーキズムで、しばしばセクト主義的抗争が行われてきた所以である。
他方、過剰な権力概念の拡充が、かえって偏在する権力からの脱出不可能性を証明してしまい、思想を自縄自縛の状態へと陥らせてしまうこともよくある。権力性からの潔癖さへの希求は、しばしばアナーキズムにおいて叛乱行為自体を自己目的化する事態を招いた。19世紀末から20世紀初頭におけるアナーキズムが、実証主義を権威的思考と批判し、進歩主義を歴史の桎梏と捉えた結果、現在に生きる労働者の英雄的「暴力」を称揚する隘路へと陥った例はその典型である。
この時の「暴力」の最も邪悪なものがテロリズムだったとすれば、最も「神話」的な「暴力」がゼネストによる現存政治体制の即時崩壊という夢想であっただろう。そして、このような即時的解放への熱狂がナショナリズムの共同性と結びついた時、しばしば指摘されるようにアナーキズムはファシズムの運動へと転落する(註3)。
ナショナリズムとの関係をより具体的に知るために、ここで日本のアナーキズム運動が陥った「失敗」について見ておこう。歴史的には日本のアナーキズム思想・運動もまた、大正期に短い全盛を誇った後、1920年代前半のアナ・ボル論争(マルクス派社会主義との対立)を経て、昭和期には衰退の一途を辿ったとされている。ただし、ナショナリズムとの関係を考えるならば、むしろこの衰退期のアナーキズムの思想を見ることこそが重要である。大正期のアナーキズム運動は、自治と相互扶助の精神を重視しながらも、具体的な政治運動としては国家や資本から自律した組合の活動に重きを置いていた。
ところが昭和期の主流的なアナーキスト達は、この組合活動をも切り捨てる方向へと舵を切ることとなる。マルクス主義への理論的対抗もあって、この時期のアナーキストは組合の如き中間団体も結局は既存の権力構造に連なるものであり、かえって労働者を既得権に擦り寄らせる回路となりえると批判していったのである。
もっとも既に述べた如く、中間団体もまたある種の権力装置と化すという論理自体は、実践的にはともかく理論的には解らぬ話ではない。ここで問題となるのは、昭和期のアナーキストが組合活動に代わって運動の基盤として据えようとしたものである。
この時、彼らは「自然」に自治や相互扶助の理念が生かされている、近代工業に汚染される以前の農村などの共同体こそが、アナーキズムが目指すべき本来的秩序であるとしたのである。先に見たように権力への嫌悪から来る非設計主義は、しばしば闘争的手段の自己目的化につながる。他方でこのような行き詰まりは、現今の秩序や制度の「外」にあるものを希求する欲望を孕むものでもある。叛乱が自己目的化したアナーキズムにおいては、権力を打倒しさえすれば本来的な人間性が回復されるという楽観がしばしば存在した(註4)。
このような楽観が支配するところでは、既存の支配秩序が取り払われた後に残るものとして、理性的設計が成される以前の伝統的共同体が人間の本来的秩序なのだといった思考が浸透したとしてもおかしくはない。そして、資本や国家のコントロールとは別種の共同体の互酬性が、薄められた形ではあれナショナルな心性の中に残存していると錯覚された場合、アナーキズムは容易にナショナリズムと結びつく。
日本のアナーキズム運動が辿ったのは、まさしくこのような道であった。近代工業を排撃して、共同体の伝統的な相互扶助精神の死守を掲げたアナーキストの多くは、30年代における左翼勢力全般の退潮の中で、農本主義的ナショナリズムへと自ら転じていく結果となったのである。
以上が過去のアナーキズム運動が陥った一つの隘路である。無論、これらはあくまで過去であり、繰り返すなら、現在のアナーキズム的な知的傾向と同一視してはならない。とはいえ、逆に今日の運動が過去のそれに多少の変更を加えた形で、同種類の「失敗」を犯さないという保証もない。
とりわけ、運動とは異なるものの、現今の日本社会の各所から聞こえてくる「貧困」を呪う怨嗟の声の中には、現状を一挙に初期化してしまいたいという即時的解放への欲望が垣間見えることもある。そして巷間よく言われるように、こうした欲望が既存左翼への絶望からナショナリズムへの誘惑に身を委ねつつあるなら、アナーキズムの「失敗」は必ずしも過去のものではなくなるだろう(註5)。
(註1)ドイツの哲学者(1806-56)。著書に『唯一者とその所有』(現代思潮新社)など。
(註2)ロシアの思想家、革命家(1814-76)。著書に『国家制度とアナーキーと』(白水社)など。
(註3)例えば、深沢民司『フランスにおけるファシズムの形成』(岩波書店、1999年)では、ファシズムに影響を与えたアナーキズム的思想家としてジョルジュ・ソレルの思想が扱われている。
(註4)Joll, James, The Anarchists, 1964, (萩原延壽、野水瑞穂訳『アナキスト』岩波書店、1975年、94頁)のバクーニンに関する記述など参照。
(註5)例えば、「希望は、戦争」といった「絶望」の声は、言うまでもなくアナーキズムの文脈で処理できるものではない。だが少なくとも、それと似た種類の安易なニヒリズム、あるいは単純な解放幻想が、過去において「希望」はテロリズムやファシズムにあると錯覚させた事実には留意すべきであろう。
いまだ・つよし/1975年生まれ。東京大学大学院博士課程。専門は日本政治思想史。論文に「協同の倫理とナショナリズム―アナーキズムと農本主義」『批評空間』V-4(2002年)など。
(PARC)