PARC TOPオルタオルタ2009年9・10月号



エスニックカレーの辛い話


文=中島 浩


 バブル景気以前、一部の「通」を除き、カレーライスと言えば洋食屋のそれが主流だった。しかし、日本中を吹き荒れた「消費」の空騒ぎは、1990年に入って「エスニックブーム」という副産物を生み出し、トロピカルなムードを漂わせた様々な商品が市場に出回り始めた。やがてバブルが崩壊し、日本経済が不況局面に入っても、「エスニックカレー」はしぶとく生き残っている。

 大都市圏の繁華街において、インドやネパールの「本場」カレーが手軽に楽しめる店を見かける機会は多い。バブル期との大きな違いは、一人でも入れる、ファーストフード感覚の店舗が多いという点だ。ランチは600円台から設定されていることが多く、ナンやライス食べ放題という店もある。

 こういった店のコックや店員、そしてオーナーは、多くの場合、南アジア地域出身の外国人だ。インド料理と銘打って、ネパール人やバングラデシュ人が働いていることも多い。コックたちは通常、本国にいる段階で店のオーナーから面接を受け、採用されて日本にやって来る。在留資格は「技能」である。入管に届けられる労働条件は基本給25万から30万円だが、契約が守られぬケースも少なくない。入管提出用とは別に、最低賃金レベルの契約書が交わされることもあるし、そもそも実際の労働条件は口約束だけということもある。

 東京都内に6ヶ所の店舗を持ち、カレー好きの間でも「星印」の高いレストランDで起きたケースを見てみよう。ある日、私が所属する全統一労働組合へ3人のコックが労働相談に訪れた。いずれもインド出身で、本国でオーナーと面接した時に示された労働条件は、月給約30万円だった。しかし、日本にやってきた途端、彼らはパスポートを取り上げられてしまった。さらに、連日深夜まで及ぶ長時間労働にもかかわらず、残業割増、深夜割増はもちろん、所定賃金すら支払われない。彼らが受け取ったのは「日用品購入費」として支給された月々1〜2万円だけだった。食事は店の食材を使って自分自身で「賄い」をつくり、1日24時間は、睡眠時間と労働時間だけで埋められていく。まさに奴隷労働そのものである。

 オーナーは、全統一からの度重なる団体交渉の要求に全く応じようとしなかった。「とりあえずパスポートを本人に返せ」との求めにも、「忙しい」「時間がない」などと言い訳を繰り返した。私たちはこのレストランの違法行為をインド大使館に通報し、同時にパスポートの再発行手続きを進めた。パスポートが本人の手元にないというのは異常事態である。この事態の解消が最優先課題だった。

 その後3人は、再発行されたパスポートを手に、本人たちいわく「もっとまともな店」への転職を果たした。彼らは新しい職場での日々の仕事に忙殺され、賃金問題やパスポート問題に関するDとの交渉は滞ったままになっている。

 労働組合としては甚だ情けない報告になってしまった。しかし、今や珍しくなくなったエスニック料理店を見るたび、Dのようなケースは氷山の一角ではないか、似たような事例があちこちに存在しているのではないかと、私には思えてならないのである。


なかじま・ひろし/全統一労働組合

(PARC)

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