PARC TOPオルタオルタ2007年1月号



オルタの本棚 藤原新也『黄泉の犬』

評者=栗山光司


 1970年代後半以降に生まれた若者達と時たまネット上でやりとりすることが増えたのだが、社会適応の処方箋について、44年生まれの筆者が自明であると思っていた倫理から「いや、そうではないのではないか」と反論すると、そこでやりとりが一時停止してしまうことが多い。藤原新也も筆者と同年で前作『渋谷』でも、心の危うさを身の内から発散している少女が目の前を横切った時、思わず作者は声をかけてしまったのだが、その振る舞いはバブル崩壊以降、「豊かさ」と無縁であった時代を生きてきた若者にとって、うざったい説教オヤジに見えたかもしれない。

 それは、若者であった藤原が自らの投影として誤読してしまうズレなのか、それとも若者たちの他者へシンクロする感性が劣化しているためなのか。『渋谷』では、そのような処方箋には家庭へという「共同体」に答えを見出そうとするかに見えた。

 藤原の「声かけ」は例えば、マスメディアを利用して「ほっとけない!」と声高に叫ぶ「みのもんた」とどこがどう違うのか。藤原のそれは自然な「声かけ」であって、そこに政治的なメッセージもない。でも、そのような批評では収まりきれない何かが藤原にはある。それは群れであることを嫌い、漂流者であったという藤原の実存が発する臭みから来るものかも知れない。標題の「黄泉の犬」は藤原自身のことであろう。黄泉からくる声に耳を傾け続ける。

 ガンジス川に流れ着いた水葬死体に野犬が喰らいつく一枚の写真とキャプション「人間は犬に食われるほど自由だ」、それはインド放浪から帰った藤原の強烈な飛礫(つぶて)であった。あれから35年、藤原はメディアを横断して写真家、時評家、小説家、エッセイストなど、どのような肩書きをつけようかと悩んでしまうが、そのようなフレームを逸脱する。藤原節としか言いようのない通低音は常に鳴り響いていたのだ。

 本書は藤原の自叙伝という趣もある。ただ、冒頭ではオウム事件からほどなくして、麻原彰晃の兄満弘に会うという重要なエピソードがあり、水俣病問題が語られる。残念なことに証言者満弘は亡くなってしまった。しかし、それを補強する藤原の取材も最後の詰めが甘く霧の中のもどかしさがあるものの、よくぞ書いたと思う。一石を投じたということだろう。

 青年藤原がラダック地方で同宿の若者との「生きることの不安」に曝されて闘う一刻と、いま現在、この国の若者ツトムが「生き辛さ」を抱え込んで藤原にインタビューしながら去来する時間とが時空を越えて交差する。その筆致は臨場感があって本書の一つの山場でもあるのだが、そのエピソードをオウム問題にリンクさせたのも、藤原の代表作の一冊としていまだに版を重ねている「死を想え!」を主題にした『メメント・モリ』の黄泉の目なのだろう。

 作者の絶望が、それは同時に絶望を語るが故に希望を指し示すことも可能になってくるのだが、若い人たちに届くかどうか。既得権を手放さないで、若者たちの振る舞いを嘆いて見せるコメンテイターと同じようなオヤジと見なされる虞があるかも知れない。でも、そのように誤読されようと、頓着しない。藤原は「情の人」なのだろう。

 若者の一人はそんな「生き辛さの悩み」より、ワーキング・プアーで不安以前に経済的に疲弊しているから、あんたたちの既得権を寄越せ!と言うかも知れない

 『黄泉の犬』は直截な本である。クールに距離を置いて語るスタンスはどこにもない。あくまで、当事者として問題の解決を愚直に図ろうとする。多分、そのような熱い情念化した言葉で言い続けることでしか、世界は変わらないという確信があるのだろう。

 カネがなくとも、生きること、リアルということ、「消えてしまう」という悩みに背中を押されて、1968年、藤原青年は旅立ったのは間違いない。今でもそのような悩みを抱えて旅立つ青年はいる。それが本書に登場するツトムだろう。でもそこで、横槍が入るかも知れない。1ヶ月分の給料をインタビュー料にしたいと申し出るツトムは、それだけのカネを出すことのできる豊かな若者だと。でも、カネで語ることのできない何かを語ろうとすることは、どんな時代状況でも、とても大事な作業だと思う。なぜこの地に拘泥するのか、どこかの土地に希望があるかもしれないという冒険心、好奇心で絶望を保留して歩き出す。死に急ぐことはない。みんな等しく黄泉の国への道中を歩いているのだ。



くりやま・こうじ/1944年生まれ。同志社大学法学部卒。書店員などを経て、現在年金生活中。

「歩行と記憶」
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(PARC)

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