PARC TOPオルタオルタ2007年1月号



進歩と伝統

文=丸川哲史


 編集部がこの題名にある概念の組み合わせでのエッセイを頼んだ動機の所在は、おそらく30年前なら「進歩」に対しては「反動」となっていたことから測定できるような気もする。それは、それは多分にフランス革命などを典拠にしたパラダイムであった。

 そしてその延長線上で、30年以上前なら第三世界と呼ばれる国々について「独立」や「革命」といった希望が念頭にあった。つまり、まだ深刻な「貧困」や「独裁」、あるいは「搾取」といった言葉によって代表される困難は見えていなかったと言える。

 現代先進国の視線において問題となっているのは、第三世界の「独立」「変革」にかかわる議論ではない。問題となるのは、「開発」による伝統の破壊を避けながら、いかに「貧困」や「独裁」を根絶するようなオルタナティブな働きかけが可能なのか、という議論である。

 ここではより根本的な議論に立ち返りたい。つまりは、「近代」という価値である。例えば丸山眞男が1950年代の時点に念頭に昇らせていた世界史のトレンドは、第一にテクノロジーの進歩であり、第二に大衆の勃興であり、第三番目にアジアのナショナリズムであった。

 今から見るとこの第三番目の指標だけが、何か奇異なものとして映し出されるかもしれない。しかしそこから、私たちが既に忘れてしまった構造を浮かび上がらせられるのではないか。アジアのナショナリズムは、欧米諸国(日本を含む)のような帝国主義にはならない、あるいはそれら帝国主義に対して価値観として対立するものである、と考えられていたということ。

 さらに思想的に考えるならば、欧米(や日本)の近代(帝国主義)に抵抗しつつ、それを超えた何らかの価値を生み出すものと考えられていた。しかしそれは、今最も皮肉な形で、私たちに困難な課題を突きつけている。

 例えば、朝鮮民主主義人民共和国(以下DPRK)の核保有の問題、及び金正日体制下の民主主義の抑圧である。考えてみれば、インド、パキスタン、そしてDPRK、イランなど、かつて第三世界と呼ばれた国々へと核保有のポジションが下降していこうとする様を私たちは眺めている。

 しかして、それに触発された自民党、民主党の若手議員が核保有を志向し始めているようである。彼らが参考にしているのは、USAのネオコン系統のシンクタンクから出された議論である。

 つまり「(アメリカの視点として)日本は、第二のイギリスとなってよい」とする言説である。ここで強調したいことは、イギリスのように持つことが当然であるかのように核を保有することと、第三世界が核を持たざるを得ないように仕向けられてきた経緯とは、やはり分けられるべきではないか、ということである。つまり「核」のテクノロジーは、紛れもなく欧米近代文明の一つの帰結であり、その矛盾が(旧)第三世界の内部へと侵入してきている過程とも見なされ得るわけである。

 今日、第三世界は、それ自体の価値として、欧米近代文明のもたらした「毒」と己を分離することができなくなった、と言わざるを得ない。であるならば、欧米近代文明がもたらした「毒」を抱え込み、その「毒」を欧米に代わって解毒する世界史的役割を担ってしまった、と言えなくもないのではない。

 そしてもう一つは、民主主義という概念である。例えばDPRKによる「世襲」は、ある意味で、強いて言えば儒教的・非近代的振る舞いではある(そして日本の「世襲」も)。しかし、DPRKに住む人びとの中に、そのような「伝統」を克服する志向が全くないと言い切れようか。おそらく言い切れない。

 そう考えている知識人、あるいは潜在的にそう感じている民衆が絶対にいるはずである。しかしまだ、そのような人びとは見えてこない。いわゆる政治・経済難民となって出てきた人びとにしても、西側メディアに身の丈を合わせた物言いしかできていないように思われるし、そのような部分にしか焦点が当てられていないようだ。

 またさらに根本的な議論が必要であるような気がする。私たちが民主主義と呼び習わしているものについてである。大まかにヨーロッパで発展した議会主義政治と大統領制の二つの形態をぼんやりと念頭に上らせるだろう。

 もっともそれらは、いずれも欧米において長い期間にわたる市民革命の成果であり、そこでの民主主義とは外から移植された結果ではない。そして今、それらは「非欧米」へと移植されるべき原器となっている。

 しかしいずれの地域においても、おそらく、他からの単純な移植なのではなく、自らの手でなされた固有の「市民革命」が必要なのだと思う。そもそも非欧米においては、常に民主主義にかかわらず、すべて「近代」は、原理的に「移植」されることにならざるを得ない(実は「核」も移植されるものにほかならない)。

 であるならば、道は限られてくる。移植が持っている人工性、非整合性、非主体性を克服し、それらの「近代」の毒を意識しつつ、しかしその価値を自らのものへと転化して行く長い道のりである。一見してそうは見えなくても、自分たちなりの「市民革命」をどう実現していくかという道のり。それは、もちろんDPRKだけの問題ではない。日本もまた然り。

 初発のテーマに戻ろう。「進歩と伝統」であった。この問題設定にしても、実は既にして開発する側のまなざしの混入が前提となっている。開発される側からすれば、進歩とは、伝統の破壊か、あるいは革新となる。ロジックの階梯として、進歩と伝統は並び立たないのだ。貨幣が流通していない社会は確かに存在するだろうが、世界資本主義から逃れられた空間を表象することも、何かの倒錯の結果であるかもしれない。

 いわば、常に世界は、外から内、あるいはその逆の複雑な働きかけの体系の中にあるほかない。非欧米というべきか、第三世界というべきか、いずれにせよ、それらの国(地域)が抱える共通の困難は、表面的な評価からすれば「破壊」と「革新」の間として見えるような不断の苦しみの過程なのではないか。


まるかわ・てつし/1963年生まれ。明治大学政治経済学部教員。専攻は日本文学評論、台湾文化研究、東アジアの文化地政学。著書に『台湾、ポストコロニアルの身体』『帝国の亡霊』(青土社)、『リージョナリズム』(岩波書店)、『冷戦文化論』(双風舎)、『日中一〇〇年史』(光文社新書)ほか。

(PARC)

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