PARC TOPオルタオルタ2007年10月号



「構造的貧困」を本気で考えるために―無力からの出発

文=栗田隆子


 フリーターとなってどんなに働いても時給は頭打ち、働けば働くほど心身磨り減り、自分がどこに向かっているのかもよく分からず、うずくまる―。そんな状態のときに、それは「あなたのせいではない」「それは社会構造のせいだ」と言われると、一瞬、解放された気持ちになる。自分の選択の軽はずみ、先見の明のなさ、愚かさが免責された、そんな気分になる。自分で自分を責めていればいるほど。

 しかし今の私は、強烈にこう思ってしまう。"So What?"―「だから、なに?」と。 フリーターや、さらに路上生活に追い込まれる若年層の存在は、ここ一年ほどで見る見るうちにマス・メディアでも取り上げられるようになった。私たちが出した雑誌『フリーターズフリー』もその流れのなかで出版されたわけで、結果論的に言えば、時流に乗ったことになるのだろう(実際は、最初のメンバーが出会った時から数えて5年かかっているのだが)。ところがその時流のなかで、「自分が免責された」という感覚だけでは、むしろ先が見えなくなってしまったのだ。いったい何が私に起きているのだろう?

 貧困を「自己責任」ではなく社会の「構造」として捉えようと、「構造的貧困」という言葉も生まれている。その姿勢はとても重要だとは思う。しかし「構造」という言葉を、「免責」のためだけに使用していったとしたら、それはひどくさみしい光景だ。私は、わるくない、わるくない、わるくない……。その光景から見えるものが結果として「敵」か自分を許す「同志」だけであるならば、なんと世界の幅が狭くなってしまうことだろう。

 そうして、フリーター問題は流行(のよう)になり、流行が過ぎ、マス・メディアが取り上げなくなったとき、フリーター問題も解決されたと見なされるのではないか、と半ば被害妄想気味に思ってしまうのだ。フリーター問題がただの「時流」と化した時、フリーターが、否、「仕事」からあらゆる形で馴染み得なかった(ように見える)人々が、フリーターとも、ましてやプレカリアートとも名指されず、ただの名無しに戻り、無関心という暴力に晒されていくのではないか、と。

 障害者とも名指せないような漠然とした心身の不調を抱えた人、仕事先から排除されたのか、幾度かの挫折の後に自分から身を引いているのか、その境が極めてあやふやな人、生活保護を受け「生命」を維持していても、人との関わりを見出せず死の孤独と差し向かいにいる人、どのようなイベントにもノレない引きこもり者、高齢でなおかつ長期化した路上生活者……。

 それこそあらゆる相のもとに不安定な人が、再びこのままでは取り残されていくのではないか? 結果的にではあれ、「時流」に乗って雑誌を出した人間の一人としての責任も感じている。仮に数年後にそのような状況になったとするならば、それこそ「構造」を変え得なかった何よりの証左となってしまう。そうして私は私自身のささやかな生活すらも結局は変え得ず、変わらず、ウツ状態の心身の絶不調のままであるとするならば、単純にもう「生きられないよ」と思ってしまう。

 だからこそ、ウツ持ちの独身女が、言葉を発するだけではなく、同時進行的に、そして具体的に、誰かと関わり働き続けることにこそ、一縷の可能性を見たい。この「ウツ持ちのサエない女」の私を生きるということ、その生を受け止めることと、働くことをどう摺り合わせてゆけばよいのか。そこにこそ、「個人」と「構造」の真の関係を見てゆきたい―というか、今の私にはそれしかないのだ。

 とはいえ、この「不安定労働」という問題は「流行り」の問題では決してなかった。常に常に取り残されてきた。だからこそ形を変え、気味の悪い不死鳥、あるいは鵺(ぬえ)のごとく、何度も何度も出現してくるように見える。

 それこそ元来は「構造的貧困」を考える立場であろう行政機関等が、「構造的貧困」を打撃するのではなく、常に「個人」としての「貧困者」を打撃しているのだから(公園に住んでいる路上生活者に対し、有無を言わせず「代執行」という名のもとに排除していく構図は、何度も繰り返されている)、この国では「構造的貧困」などというものを「認識」すること自体が難しいことなのかもしれない。それゆえ「構造」という言葉を自己免責のために使うだけでは、実に狭く、もったいない話なのではないだろうか。

 もっと言おう。フリーター達が自己責任だと思いたいというその背景には「自分にはこの事態を改善できる力がある」と思いたい、自分の力を信じたい、そういう切ない願いがあることを、無視したくない。その願いのなかに「構造」という言葉が入り込むことは、実はとってもとっても残酷なことなのだ。「社会人」などという恐ろしい言葉があるが、「仕事をする」ことが「社会の人」になるということであれば、その「社会」に「構造」というものが存在しているのであれば、「自分」の力というものをどれだけ尽くし、足掻き、頑張っても、「お前は無力」と突きつけられることに等しい。自分がどんなに足掻いても「逃げ場はない」ということを、身をもって知らされることだ。

 貧困は構造的問題だ、というその言葉をそのまま裏返すと、一人の人間の努力だけではどうにもならないということ、つまり個々人の「無力」について考えざるを得ない。だからこそ私たちはつながりを求めるわけだが、そのつながりはいわゆる「同志」という関係よりは数段複雑なものとなると直感的に思う。たとえば、「賃金を上げる」「休暇の確保」という具体的な「目的」―それはそれで重要な運動であるのはもちろんだが―に立ち向かう団結の力強さというより、一人ひとりの努力の限界を、身をもって知った上での関係に思いを馳せてしまう。

 それは集団の高揚とは程遠く、革命とも距離を置いた、静かな関係だろう。その関係は、硬直した「構造」から解放され、ほんとうに人と人とが出会い直していくプロセスそのものとなるはずである。そのプロセスは、「フリーター」も、そしておそらくフリーターとは呼ばれない「一般社会人」の人々も味わったことのない経験かもしれない。それは自己責任という言葉で責められる孤独の辛さではない、人と人とが真に出会うときのいわば「苦労」の経験であり、その苦労を味わいたいなどといったら、あまりに古風で笑われるだろうか。

 だからこそ、私が働ける場を創りたい。正直私が働いた方が却って他人に対して迷惑となることもある。迷惑になるから働かないのではなく、だからこそ働きたいのだ。仕事における「迷惑」や「トラブル」のなかに潜む力を認めることが「無力」であること、そして関係を持つ「苦労」の出発点だ。そしてその力が「個」と「構造」の両方を変えていくのだと、時に投げやりに、時にマジメに信じながら、少しずつ、本当の意味で多様であること、そしてその面白さを具現化してゆきたいと思っている。


くりた・りゅうこ/1973年東京生まれ。『子どもたちが語る登校拒否』(世織書房)に経験者として寄稿。学生時はシモーヌ・ヴェイユについて研究。ミニコミ・評論紙等において不登校・フェミニズムについての論考を発表。現在、国立保健医療科学院非常勤職員。

(PARC)

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