PARC TOPオルタオルタ2007年12月号



日仏の郊外、余計者の余地

文=昼間 賢


 2005年の秋、パリ郊外を起点として起こった若者の「暴動」は、20年以上前から繰り返し起こっていたことが、フランス社会の根幹に関わる問題として、ようやく認知された事件だった。自由・平等・友愛の国にも、目に見えない差別が存在する。その衝撃は、炎上する車の映像として何よりも雄弁に、世界中に広がり、私たちの網膜をも捉えたのだった。

 ところが、最近それが急速に色褪せて見える。所詮は対岸の火事だったから、ではない。事件の後しばらくの間は活発に議論された大問題が、粛々と葬り去られようとしているのだ。具体的には「郊外の若者」たちを「社会のクズ」と呼び捨てた人物、当時の内相ニコラ・サルコジが、2007年5月に大統領に就任して以来、外国系のフランス人と外国人に対して、非人間的な抑圧の政策が次々に打ち出されている。

 これまでも、不法滞在者摘発の数値目標化や、「移民と国家アイデンティティー省」の一方的な設立など、強権的な措置が取られてきたが、最近発表された「家族呼び寄せビザのためのDNA鑑定の義務化」にいたっては、もはや蛮行という他ない。これは、そもそもフランスの国家理念に反するはずだが、そんな高尚な議論どころではなく、まず第一に、家族のあり方を血縁関係に限定した恐るべき愚策である。

 また、郊外という空間との関連では、このほど、無人の小型飛行機「ドローン」を使って不審な人物を監視する計画が明らかになった。これは、たとえばイスラエルで使用されているもので、内務省は「警察の介入のための補助的な道具」としているものの、簡単に武器に転じる性質の機具であることは、イスラエルの事例からも明らかである。つい数年前までは、フランスの郊外はまるでパレスチナだ、などという言い方が憂慮すべき比喩として通用していた。それが、あっけなくも実現しつつある。

 他方では、「フランスの郊外=移民の居住区」という短絡的な固定観念が相変わらず通用していることも残念である。歴史的経緯の把握や社会学的な説明は十分なされている。問題は、偏見や誤解に苦しむ「郊外」から、本来の可能性を取り戻そうとするその他の言論や代案が、フランスでも日本でも、少なすぎることではないだろうか。

 郊外の可能性とは、どの国の郊外だろうと本質的には変わらない、豊かな都市文化にも豊かな自然環境にも恵まれていない中途半端な空間の、まさにその無徴性にある。

 それは、否定的な性質ではなく、むしろ逆説的な自由の条件かもしれない。にもかかわらず、郊外人は、所得が余れば都会で消費し、余暇が生じれば田舎へと走る。より良い生は常によそに置かれ、そのことに何の疑問も感じない。いや、感じないのではなく、感じないようにしているのだ。

 都会から離れ、田舎に接する郊外では、都会の虚飾と田舎の味気なさが、同時に見える。しかし、気晴らしや癒しを本当になくしてしまったら、自分は何のために働いているのか、生きているのかがわからなくなってしまう。郊外とは、人間本来の生の不条理が生々しく現れるところであり、それは、最近では地方都市や大都市の中心部にも認められる、ある種の陥没地帯なのだ。

 社会学者の宮台真司は『まぼろしの郊外』(朝日文庫)の中で、そうした生々しさを坦々と生きる若者たちを積極的に描いたが、後に自らが認めたように、私たちの生の表情が明るくなったわけではない。「ここではない、どこか」の不在に耐える日々は相変わらずである。とはいえ、宮台の「終わりなき日常を生きろ」(註)から10年以上たって、事態は同一ではない。いまや「終わりなき日常」の“まったり感”が懐かしく思われるほど、私たちの日常は確実に終わりつつある。終わりなき日常すら維持できなくなってきたのだ。

 どうしたらいいのか。答えはあるのか? あると思う。

 それは「魂という自由」の創出である。

 この場合の魂とは「何をしようが“その時”は来ない」と「何もしなければ“その時”も来ない」との狭間で、それでも何かするうちに生じる反抗的な隔たりである。

 この場合の自由とは「ある状況の合理性に従わない、予測不能な行為」である。

 昨今では様々な論者が様々に定義しつつ自由を論じているが、この一点では異論はないはずだ。私たちの自由観は、あまりにも、カタログ・ショッピング的な選択の自由に毒されているのではないだろうか。本来の自由は、カタログの中にはなく、その外に探し求められるものでなければならない。

 もちろん、簡単なことではない。与えられた選択肢がすべてで、それ以外には何も見つからぬよう仕組まれているのが、郊外的な時空に生きる私たちの現実である。したがって、合理的・擬似的な選択の自由は可能な限り拒否しつつ、それとは次元の違う「余地」を創り出すこと。都市的・市場的な自由ではなく、自然的・農村的な秩序でもない、いわば人間関係的な「余分」の実践。郊外固有の魂とは、その果てに見出される何かだ。

 その表現が一つ、パリの郊外で生まれている。『28ミリメートル―ある世代の肖像』という写真集で、写真家の名はJR、クリシー・スー・ボワ在住である。クリシーといえば、2年前の「暴動」の発火点となったパリ郊外の自治体だ。

 JRは、以前から撮りためていたクリシーの友人たちの顔写真を大きく引き伸ばして、2004年、つまり「暴動」の1年前に、地元の団地の壁面に展示した。翌年からは「Kourtrajme」というアーチスト集団のメンバーであるLadj Lyの協力を得て、パリの街中で、非合法的に、少しずつ顔写真を貼り付けていたところ事件が起こった。

 二人は、アクシデントを逆に利用して、2006年4月、パリ中心部のマレ地区で、多目的ホールの壁面に写真を貼り付けた後、ケルヒャー社製の放水器で「掃除する」という離れ業を演じた。そのとき展示された写真に、撮影された若者のコメントを付記し、映画『憎しみ』の主演俳優ヴァンサン・カセルの序文を戴いてできたのが『28ミリメートル』である。

 ケルヒャーとは、内相時代のサルコジが「社会のクズはケルヒャーで一掃する」と断言した、あのケルヒャーだ。諸々の断絶を意味する「壁」に、絶望を通り越した若者の表情を高々と掲げ、言われた通りに除去する。受けた屈辱の象徴的な再現、それこそ「魂という自由」の表現ではないだろうか。

 移民の存在がさほど目立たない日本では、いまひとつわかりにくい話かもしれない。しかし、移民であれ国民であれ、特に若者に関してはほぼ同様に、フランスや日本という国家から解除されている今日、数えられていない=存在していないのだから、何をしたっていいじゃないか、と思わずにはいられない。

 「希望は、戦争。」 ああそうだ、本当に。後は、名乗り出て明言するか、しないかだ。言論の自由を、表現の自由を、実際に行使するのかどうか。そして、もはや一国単位では問題は解決しない以上、諸刃の剣である国民系の極論とともに、生存に徹した移民系の表現にも注目していきたい。

 郊外という「余地」で、大多数の「余計者」が存続するためには、どうしたら良いのか。パリ市の紋章には「たゆたえども沈まず」という言葉が刻まれている。不自由に自由を見出し、見守り、そして分かち合うことだろう。

(註)『終わりなき日常を生きろ』(筑摩書房)は1995年、オウム事件の後に刊行された。ムラ・イエ・カイシャといった共同体が瓦解した後の「寄る辺ない」世界で、本来の自分/世界といった「大きな物語」を希求したオウム的世界観を批判し、終わりのない、不透明な世界をまったりと、坦々と生きることを説いた。


ひるま・けん/1971年生まれ。早稲田大学文学部非常勤講師。専門はフランス文学。著書に『ローカル・ミュージック―音楽の現地へ』(インスクリプト)、訳書にエマニュエル・ボーヴ『あるかなしかの町』(白水社)など。

(PARC)

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